「難民問題」について
2015年9月22日更新
こんばんは。シリアよりヨーロッパを目指す“難民”問題について一言。
みなさんは、過去の歴史(ヨーロッパ:西暦300~700年)に「民族大移動」の時代があったことをご存知ですか?
当時の支配体制を、根本から覆したといっても過言ではないかもしれない出来事でした。いかなる「強権体制」であっても、人々の“生存追及の権利”を止めることは出来ない、ということの証でもあると思います。
そして、今まさに、私たちの眼前で「民族大移動」が始まろうとしています。
25年前、レスター・R・ブラウン氏が著した「地球白書」を偶然にも手にした私は、大きな衝撃を受けたと同時に、私が生きている時代に、第二の「民族大移動」が起こるかもしれないと考えたものです。
大規模な“気候変動”がもたらす食糧難が、人類の“生存権”をかけた大移動をもたらすのではないか。と、直観的に感じました。
しかしながら、この瞬間に起きている「難民問題」は、“政治的迫害”に起因している出来事です。「基本的人権」を、国家の基礎として成立している(そのように装っている)ヨーロッパ諸国において、救済を求める難民を、如何なる理由があれ“排除”に向かおうものならば、自らの「存続的価値」を、放棄するに等しい行為となります。
だが一方で、自らの国家における「台所事情」が、本当に難民を受け入れることのできる状況なのか、ということは、資本主義社会においては決して無視することの出来ない「真実」であることも、また事実であります。
今回の「難民問題」を、ヨーロッパの「体裁」を整えるために乗り越えることが出来たとしても、以後に発生するかもしれない“別の事情”による難民問題が発生した場合、すなわち「第二・第三の難民問題」が起こりうる可能性が排除できない今日、果たして“きれいごと”だけでは解決できない状況に追い込まれてしまうのではないか。本当に心配でなりません。
ここで、私たちが生きている「日本」。遠く離れたヨーロッパや北アフリカの出来事なので、静観しているのか、はたまた、「安保疲れ」で、他人のことに構っていることができないのか??未だに、日本政府から何の「声明」も出ていないことに、何故に声をあげる国民がいないのか?「安保法案」が通ろうが、廃案になろうが、誰にも「実害」がないのではないですか?
日本から遠く離れたヨーロッパで、人類史を覆してしまうような「民族大移動」が起ころうとしている現実に、何故に関心を寄せないのか!若者たちよ!!国会前に集い、日本の将来を憂うのであれば、同時に、世界中の出来事に目を向けて、今の「日本」に出来るであろうことを、政府に要求すべきではないのか!!!!!!!!!!!!!!!!!
・・・と、偉そうなことをつらつらと書いて、何もしていない自分に立腹している私です・・・泣。
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