「超高齢化社会」について(2015年11月分・再掲)
2022年6月20日更新
こんばんは。
ここ数年、「老老介護」などによる痛ましい事件が相次いでいます。先日も、老夫婦を介護していた娘さんによる、悲しい事件が発生しました・・・。
この国は、否、この国の政治家は、いったい何を見て、“政治”なるものを目指しているのでしょうか?
『日本』という国が抱えている、人口構造から起こりうるであろう“近未来”に対して、適切な対処を施さなかった結果、至る所に「介護」関連の事件が発生することとなり、今後も、間違いなく「増加」の一途を辿ることでしょう。
「年金」という、“まやかしの老後生活”を保障することが、唯一の解決方法と言わんばかりの施策が、このような結果を生じていることは疑いの余地もありません。
皆さん、1ヶ月に「10万円」にも満たない支給額で、生活しなくてはならない自分を想像したことがありますか?
家賃4万円
食費3万円(1,000円/1日)
水道光熱費1万円
携帯、その他通信費など1万円
その他雑費1万円
・・・以上で、10万円です。
日本国憲法第25条には『健康で、文化的な、最低限度の生活』という文言がありますが、“年金”という、なけなしの現金を支給することで、はて、「健康で・・・」などという生活を営むことが出来るのでしょうか?
答えは明確に「否」です。
「お金」だけが全てを解決する方法ではないことに、政治家も含め、我々国民も気づかなくてはなりません。
憲法第22条には「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転、及び職業選択の自由を有する」とありますが、本当の“自由”が与えられているのは、“お金”があり、職業選択を出来る“能力”を有している人、のみです!
では、現在の状況を打破するためには、どうしたらよいのか?
上記「22条」にある、「居住・・・の自由を有する」を、“放棄”することです。
ただ“放棄”するのではありません。権利を放棄する代わりに、『充分な介護』を保障するのです。選択制の「放棄」とすれば、何ら問題は無いはずです。
「放棄」を選択した国民に対して、国が管理する「介護施設」に移住してもらい、充実した老後を過ごしていただく。但し、「まやかしの年金」については、施設の運営・管理に充てることにする。年金受給の資格がなくとも、平等に受け入れること。
人生は「成功」ばかりではありません。「自分の意に沿わない人生」を送る人も、もちろん多数います。年老いてからも、誰からも手を差し伸べられることなく、ただ『死』を待つことを強いられる人生を、あなたはどう感じますか?
「政治」とは、本来、そういった人々を救うためにある「良心」でなくてはならないはずです。
確かに、簡単なことではないかもしれません。しかし、年金の積み立てが「200兆円」もあり、直近の3か月(2015/7~9)で、8兆円近くもの『損失』を、平気で出すことのできる組織であれば、安心して老後を暮らせる施設を作ることぐらい、造作もない話かとおもいますが、ね(笑)。
「超高齢化社会」と並行して、「超少子化」も進行しています。国民一人一人が、自分の権利などを主張し合う世の中ではなく、未来の日本に、地球に生きる子供たちのために、「少しずつ我慢する」世の中、というものを、考える時代なのかもしれません。
昨日よりも今日、今日よりも明日が、希望に満ちた1日となりますように!!!
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